活動履歴

2023年10月9日に開催された『たなぼたコンサート』よりエンディング曲

「明日があるさ ふんけんクラブVer」

2023年10月29日@ライフポートとよはし

・男声合唱によるオペラ・アリア後半

・夢で逢えたら

・ふんけんサンバ(マツケンサンバ改題)

  with サクラカンタービレ

2023年10月29日

合唱祭の打ち上げ『買い物ブギ』


2023年10月09日

『たなぼたコンサート』第3ステージ

~客席と創るステージ~

2023年10月09日『たなぼたコンサート』

アンコール


2023年10月09日『たなぼたコンサート』

第1ステージ~オペラでアリア集~

2023年10月09日『たなぼたコンサート』

第2ステージ~こころに沁みるステージ~


2023年10月1日に開催された

第24回三遠南信文化交流事業 合唱の集い。

・瑠璃色の地球

・You Raise Me Up

・買い物ブギ

2022年10月30日に開催された第53回合唱祭&

第23回三遠南信文化交流「合唱の集い」。

・男声合唱組曲「航海詩集」より『わが窓に』

・You raise me up

・恋のフーガ


2019年3月24日

天伯夢のコンサート@天伯小学校

「街」「サライ」

2019年10月27日

第50回合唱祭@ライフポートとよはし

「SwanSea Town」「関白失脚」


2017年2月26日

三遠ネオフェニックス@豊橋総合体育館

「君が代」

2017年7月2日

オレンジコンサートin三ケ日2017

「街」「応援歌『いきます』」他


2015年10月25日

第46回合唱祭

「カチューシャ」

2015年10月25日

第46回合唱祭

「ふんけんクラブ 団員募集の歌」


2014年10月26日

第45回合唱祭@ライフポートとよはし

アルカデルト 「アヴェ・マリア」

2007年10月21日

あつみロビーコンサート

「森の歌声」


2007年10月7日

第39回合唱祭@ライフポートとよはし

「ふるさと」

2006年7月9日

ふんけんクラブ第2回演奏会

「UBOJ!」


2005年11月27日

田原市合併記念演奏会 @田原市文化ホール

オペレッタ「こうもり」

2005年11月27日

田原市合併記念演奏会 @田原市文化ホール

「ふるさと」



ふんけんクラブの誕生秘話

『ふんけんクラブ』物語《誕生秘話から谷あり谷ありの合唱活動》

〔Ⅰ〕夜明け前(ふんけんクラブが誕生するまでの背景となった事柄)

     1975年(昭和50年)豊橋青年会議所(以後JCと称す)第24代理事長は、

          文化事業例会「ふるさとコンサート」開催。文化育英基金創設。

     1976年(昭和51年)豊橋JC創立25周年記念事業の一環で、文化事業担当委員長は、

         講師に山本直純氏を迎え、「ふるさとコンサート・市民音楽のつどい」を開催。   

         「豊橋市民合唱協会」設立。

    1977年(昭和52年)豊橋市民合唱協会の名称を「豊橋合唱協会」と改称。

         近隣の合唱愛好家グループの参加を推進。

         「市民音楽のつどい」以来描いてきた「第九」への熱き思いの機が熟し、

         この年11月、合唱協会は“1年がかりで「第九」に挑戦する”ことを決定。

         豊橋で初めての市民合唱団による「第九」演奏会が動き出したのだ!

     1978年(昭和53年)豊橋JC第27代理事長と文化委員長は、

          11月26日の「第九」初演に向け、主催を豊橋JC・豊橋合唱協会・

         愛知県文化協会連合会・豊橋文化協会の4団体とする異例の体制を確立し、

         「第九」成功への盤石の布石を打った。当時の日本を代表する声楽家を迎え、

         豊橋初演の「第九」は大成功を収めた。

    ※以後、「第九」は1980年(昭和55年)・1982年(昭和57年)・

     1986年(昭和61年)豊橋市制施行80周年記念・1989年(平成元年)

     ・1994年(平成6年)ライフポートとよはしコンサートホール竣工記念

     ・2001年(平成13年)浜松市での三遠南信交流「第九」の集い

     ・2006年(平成18年) とよはし100祭&合唱協会50周年記念

     ・2011年(平成23年)文化振興財団10周年記念と開催されてきたが、

     公式な「第九」参加者名簿に『奮健クラブ』と記録されたのは、1989年のこと。

     その前年、当時の会長を強力に支援・激励する会で『奮健倶楽部』が

     誕生したといえるのである。その経緯は以下のようである。

 

1988年(昭和63年)11月某日、松葉町3丁目の料亭で合唱協会会長支援の会の

呼び掛けをしたところ、JC・OBの「文化系・社会開発系・三三九系」の主たる

メンバー15名余が集まり、「第九」参加の思いや合唱協会への関わりなどを話し合っていたところ、

「新しい合唱団をつくっちゃどうかね!」という“天の声”が発せられ、

 酒の勢いもあってか「そりゃあいいぞん!」ということになり、

当初は「第 九」参加のための合唱団と捉えていたが、某参加者より

「いろんな歌も歌えれば楽しいぞん!」「そりゃあそうだわ、やらまい!」となって、

いつの間にか「新合唱団創立総会」となってしまった。

 団名も前々から考えていた『奮健倶楽部』(当初は漢字を当てた)に決まり、初代団長も

も異議もなく決まってしまった。

この時からすでに“遊び心と酒の勢い”という「ふんけんクラブのイメージ」が確立されたようである。    

 指導者についても、合唱協会で顔なじみであった

「桜丘高校の田辺秀治先生にお願いしちゃあどうだん!」で、

交渉役は当時桜丘高同窓会長であった方に一任された・・・。